昨日に続いて、Shikaさんからの寄稿の後半部分を掲載します。
今回の震災に対してShikaさんが思ったこと、訴えたいこと、教訓として得たことが書かれています。
福島の浜通りが日本地図から消されないために(2)
Shika 著
まず最初に。
こんなに大きな災害にあったとしても仕事があるというのは、幸せなことです。
仕事をしていれば、余計なことを考える時間が少なくて済むのと、悩まなくて済むからです(ネガティブなことで...)。
福島県いわき市は、風評被害地域です。
地震、津波、原発関係の三重苦です。東京に福島県のアンテナショップがありますが、そこでは、そんな風評被害をなんとも思わず、購入してくださる消費者の方がいます。本当にありがたいことです。
そんな話もある中で、社員から聞いた話ですが、「いわきナンバーの車は、ここに止めるな」とか、 「スクリーニング受けた証明を出せ」など、言われもないことで迷惑を受けています。産廃業者さんの話では、いわきから持ってきたゴミは、放射線測定器で1μSv/h以上であれば、納入させないと言われたとのこと。
最近でこそ、品物がお店に並ぶようになりましたが、先週前半までは、商品が入らず、入場制限や商品がなくなり次第終了というお店が多かったです。いわきでの地元のお店は、ガソリンが少ない中、どこかまで取りに行き、品物を並べて、販売して、ということを一生懸命やっていました。ガソリンもようやく先週末から大行列を作らずに入手できるようになりつつあります。
支援物資も届くようになっているようですが、仕訳が追いつかない。情けない話です。仕訳している役所の方も被災者です。私は、東京に避難していたので、大きな声で言える身分ではないのですが、同じように地元で被災している役所関係の公務員の頑張りには、頭が下がる思いです。今まで、「親方日の丸でつぶれない閑職」とみていましたが、この復旧の対応や頑張りを思うと、大変申し訳なく思います。
消防や警察は、放射線が降り注ぐ中で、懸命の捜索・情報収集の仕事に従事されていて、ほとんど休みなく働いています。20日ぶっ通しで働いていて、本当に頭が下がる思いです。
昨日、岡田幹事長がいわきに来て、ハウス栽培でのトマトを食べて、全く問題ないといってくれましたが、ならばこそ、支持母体のイオングループで売ってほしい、と思うわけです。
本当に政府が、問題ないというのであれば、O-157騒動のときのカイワレ大根のように、閣僚がそろって、問題ないという食品を現地で食べてくれと思うのです。
飯館村の話も同じです。IAEAと政府見解が違うのなら、飯館村で会見を開き、そこに閣僚を常駐させて、だから問題ないというのが欲しいのです。そこに政治家がいて、住民と一緒であることをアピールしているなら、安心できるかも。
農業や酪農、漁業に対して、今後、もっと被害が出ることが予想されます。第一次産業に従事している人たちに対して、政府はもっと早く手を打たないと、自殺者が増えていくような気がしてなりません。この大震災で生き残ったとしても、生活する場所をなくす人達に対して、手を打って欲しいものです。
例えば、原発から20-30kmの自主避難地域(自宅退避地域)は、水や食料をどうやって手に入れるのか。誰が運んでくれるのか。自分でとりに行くとして、ガソリンが入手できないのにどうやって...。自宅避難民に対して、救援物資は届いていません。
ぜひ、グーグルアースを見てください。
北茨城から、八戸まで見てください。
港には、大型船が上がっています。岸壁近くには、船が沈んで、船底を見せています。どこの場所も同じようになっています。津波被害の場所は、どこも面積の大小はあれども、茶色になって、瓦礫がいっぱいあります。
先週まで、自分達は言っていました。「福島の浜通りは、日本地図から消されてしまうだろう。被害状況も把握されず、物資の手配も遅れていて、政府から見捨てられた場所だ」と。
本当にそうならない日を待っています。
今回の教訓をまとめてみました。
▽ドコモのメールも、つながりやすい機種とつながりにくい機種がある。
▽比較的新しい携帯(販売後1.5年程度)は、つながりやすかった。
▽3年以上前の機種は、つながりにくい、若しくは、ほとんどつながらず。
▽大地震では、救援は7日以上かかる。
▽ガソリンの携帯缶は、1つは持っていたほうがよい。
▽水は、風呂1つ分では、2人で5日程度しか持たない(疫病を発生させないために、排泄物を流すことと手洗いのため)。
▽水を使用しないトイレを買って準備しておくのがよい(今回が春先でまだ救われている。もし、これが夏だったら、腐敗臭と疫病が蔓延するだろう。特に、排泄物の処理がうまくできないと。そのためには、水を使わないトイレが必要と思われる)。
▽米は、常備しておくに限る。カップめんは、役に立たない。
▽水は、ウォーターサーバーみたいなものがあると、飲み水の常備ができるので、考えたい。
▽手洗い用に、アルコール消毒薬があるとよい。
▽英語ができると、世界に向けて情報発信ができるので、できたほうがよい。
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福島県いわき市に勤務先と自宅があるShikaさんからのご寄稿です。
地震発生から現在に至るまでの会社のこと、自分のことを記述されています。
本日と明日の2回に分けて掲載します。
ご寄稿ありがとうございました。
福島の浜通りが日本地図から消されないために(1)
Shika 著
東日本大地震の被災者の皆様に心から御見舞申し上げます。
それから、多くの皆さんが、被災者の方のために義援金を送ってくださったり、何かお手伝いをと考えて頂いていることに対して、とても感謝し、御礼申し上げます。
その気持ちを何年か持っていただけるのであれば、東北が復興の兆しを見せたときに、東北でお金を落としてください。東北の経済活性にご協力ください。
会社のこと、私のことを、時系列でまとめたいと思います。
私の勤務地及び自宅は福島県いわき市にあり、原発からの直線距離40数キロに位置します。
【3月9日 大地震前】
埼玉の工場で外国の協力工場さんと打合せ中に結構大きな地震があり、お客さんに「日本は地震国だから、このぐらいは平気ですよ」なんて、軽口をたたいていました。その後にこんな大きな地震が来るとも思わずに...
【3月11日 大地震当日】
(会社のこと)
当日は、工場で勤務していました。工場は、大量の毒物を扱っている工場で、製造中でした。工場には、お客さんが2組いました。1組は、愛知県からのお客さん。もう1組は社内(茨城県、東京都)でした。
地震発生後、愛知県のお客さんは、東京の営業担当者が社有車にてすぐに関東まで送りました。社内のお客さん(所属が異なります)には、社有車を貸すこととし、翌日返却してもらいました。会社へは各所から生存の確認の連絡がありました。
2ヶ月前にEMSの定期審査があり、緊急事態が弱いとの事から、見直していたこともよい方向に働きました(大地震前にも震度3程度の地震があり、連絡体制や報告書が上がっており、緊急事態を見直していました)。毒物漏洩という最悪のシナリオは全くなく、毒物の取扱のエキスパートがその力を発揮していたと思います。
会社の工場は、硬い岩盤の上に建っており、その分他所と比べると揺れが小さいのも幸いして、工場建屋や製造設備に問題はありませんでした。地震後も停電時間は20分程度でした。工場の近くに浄水場があり、水が止まる事はありませんでした(震災後一度も止まりませんでした)。工場としては、地震が多少収まった後、とりあえず14日まで帰休と言うことで、解散しました。
(私のこと)
地震発生後、サーバーの電源を落とし、担当場所の確認をして、課員の安全を確認した後、担当エリア内の電源を落とし、薬品類の廃棄等への対応を指示して、打合せに出席しました。その途中で、関東や中部地方にいる仲間から、バンバンメールが入ってきます。津波の話も入ってきました。課員に帰休の旨を通知し、嫁に確認メールを送って、工場を後にしました。
途中で、コンビニに寄り、手軽に食べることができるパン類の確保をして、家に帰り、風呂を洗って、水を汲みだめしました。家も、山の上なので、損傷はありませんでした。電気も一度も止まっていません。水は、1日半後に断水しました。
嫁の実家が小名浜地区で、海に近いことから、嫁が、自分が勤務する会社からすぐに見に行きました。その会社は、地震の揺れが収まった後、すぐに休業の判断をしたそうです。幸いにして、嫁の実家の津波被害は、隣の家、三軒向こうの家、道路挟んだ向かいの家までで、紙一重でした。床上、床下浸水もなく、駐車場まで水が来たとのことでした。
余震もあり、津波警報が発令していて、いつまた津波が来るか心配だったので、すぐに我が家に避難をしてもらいました。義父母の話によると、津波の第一波はたいしたことなく、3時過ぎの第二波、三波がひどくて、第一波で様子を見に行った人がさらわれてしまったようです。
【3月12日-13日】
土日は、そのまま過ごしていました。しかし、地元の情報は、地震当日から、原発はよくない方向に進んでいるとの情報が流れていました。
【3月14日】
(会社のこと)
通常通り出社し、被害状況の確認をしました。従業員の家族の被害(被災)状況の確認をして、家が流されてしまった従業員は、社宅の手配等であたふたしましたが、各課とも、危険物・毒物の始末をして、きちっと鍵をかけて休業としました。休業になれば、各自の判断で、原発から自主避難できるからです。
会社は、電気・ガス・水道のライフラインは生きていたので、水道水の開放と風呂の開放を決めました(風呂は、ガスがなくなるまでですが)。
(私のこと)
通常通り仕事をしていました。3月22日からシンガポールに出張の予定だったのですが、まだ行くかどうかの最終決定が出ていませんでしたので、その準備とその他雑多な仕事に追われていました。
会社にはサーベイメーター(放射能による環境汚染を監視したり、放射性物質による器材汚染を検査したりするのに用いる可搬型の簡便な放射能測定器)があるので、それを探したのですが、必要なときに限って出てこない...そんなことがありました。
【3月15日】
(会社のこと)
いよいよ、原発がまずいというので、社員の現状情報収集とサーベイメーター探しに集中して仕事をしていました。東京の営業から、出荷の確認や指示の電話が来ていたのですが、いわき市は被災地と思っていないらしく、「なぜ出荷できないの?」とあまりに頓珍漢な発言にがっかりしました。TVで、岩手県や宮城県のことは放送されても、福島県は原発の話で終わっているようなので、仕方ないかも知れませんが...
(私のこと)
午後3時過ぎにサーベイメーター探しをあきらめ、実家(千葉)に避難するため、いわきを出発しました。義父母は、義姉の旦那の実家である福島県伊南村に避難しました。
常磐高速は、全面通行止め(緊急車輌はOK)ですが、とある情報から、いわきからの避難といえば高速に乗れるという話を聞き、乗りました。道路情報がわからないので、60km/h程度で走りました。ポツリポツリと走っている車もいました。水戸の手前ひたちなかで、掲示板に「この先対面通行」と言う表示が出たので、ひたちなかで降りました。料金所で経緯を説明すると、車のナンバーと名前、住所等をチェックされましたが無料でした。
その後、途中で、ガソリンスタンド渋滞に巻き込まれたこともあり、6時間くらいかかって実家に着きました。実家は埋立地なので、液状化現象の心配をしていましたが、たいした被害はなかったように見えました。
【3月16日】
シンガポール出張の件で、東京に出社しようと思い、工場長に指示を仰ぎましたが、行かなくていいとのことで、一日実家にいました。どっちにしても、海外出張の有無をはっきりさせるため、東京に行く必要があったので、明日は東京へ出社することにしました。
【3月17日】
東京への出社は、計画停電があるとのことで、通勤ラッシュ時に電車に乗るのを控え、ちっょと遅く出社しました。東京の営業部では、いわきに残っている人についての必要物資についての調査をしていて、翌日に救援物資を各家に配送する手はずをしていました。ガソリン以外では、食料と水が不足していました。水は、工場に来れば、あるのですが、工場に行くガソリンがないのが、つらいところでした。
社長らと海外出張の話をどうするか詰めたところ、結局、「行かなくては始まらないのであれば、行って来い」とのことで、計画通り行くことになりました。この海外出張は、埼玉の仕事なので、そのまま、埼玉の工場に出向き、打合せをすることとしました。計画停電のため、通常は1時間程度で帰れるところが、3時間くらいかかってしまいました。おかげで家に着いたのは、ほぼ午前様です。
【3月18日】
昨日に引き続き、埼玉の工場で打合せと資料作成を実施しました。計画停電のため、出社時間をずらして出社し、帰りも昨日同様、午前様でした。
【3月19日-21日】
海外出張用に会社から携帯を授かっていないので、日本の会社や家族との連絡は、自分で用意することになりました。ドコモシッョプに行ったのですが、店員の説明が的を射ず、いっそのことスマートフォンにと思ったのですが、希望のものがなくて、結局iPhoneを契約しました。出張直前まで、ドタバタです。
【3月22日-25日】
持病を持っており、シンガポールで食べられる物があるかどうか不明だったので、スーツケースに食パンを2斤とその他のちょっとした物を詰め、埼玉の工場で打合せをしたあと、羽田からシンガポールに飛びました。日本と20℃以上気温差があるので、着る物が大変でした(夏服と冬服)。
シンガポールは、私と営業担当の2名で行きましたので、言葉はなんとかなりました。行きは機中泊で、なかなか寝ることができなかったのですが(前の乗客がシートを倒すと、私のひざに当たるので、何回も起こされました...)、何とかなりました。
シンガポールでは、仕様の打合せと監査と納期関係で、あっという間に時間が過ぎてしまいました。帰国は、成田だったので、嫁に迎えに来てもらいました。その頃には、既に関東では、ガソリンの入手は容易になっていました。
帰国後、携帯に「28日、管理職は工場に出社のこと」というメールが入って来ました。
【3月28日】
いわき工場再開についての打合せがあり、業者の手配が始まりました。ただ、業者さんは引く手あまたで、なかなかつかまりません。いわき外の業者は、原発の放射能の関係で、いわきに来ません。
【4月5日】
ちなみにいまだに、いわき工場の休業は、解けていません。
しかし、一刻も早い操業開始のため、有志が点検、補修をしてます。
(明日後編を掲載します)
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昨日に続いて坂内さんが、自らの被災体験に基づき、震災に遭遇した時の対処法について記してくれました。
ありがとうございました。
被災生活でまず確保すべきこと
Unity Gate 坂内 著
被災生活の中で、お役に立ちそうな情報を幾つかお伝えしたいと思います。
アイソス日記の読者の中からニ度とこんな目に遭う方が出ないよう切に願いながら。
もし、不運にも被災してしまったら。
水の確保
1. 普段から浴槽の水はむやみに排水せず貯めておく(200Lの生活用水となります)
2. 地震が起きたら即座に家中の器に水道水を汲んでおく。もちろん浴槽も満水に!
3. 2リットル用の空ペットボトルは、家族の人数分用意
水道は、急に止まりません。そこで大多数の人が騙されました。「水道は無事だ」と、しかし、翌朝断水している事を知るのです。給水ポンプが停止しても水道菅に圧がかかっているので、ある程度は水が出ます。ここで飲み水を確保できるかどうか、その後の生活を大きく左右します。
自治体によっても違いますが、給水は、1人2リットルまでのところが多いです。大きいポリタンクを持っていても満タンに貰える保証はありません。給水する側も 計量の手間が省けるので2リットルペットボトルが喜ばれます。
電気と通信の確保
1. 震災後しばらくは、携帯電話が「つながりました」しばらくすると携帯基地局の非常用電源が切れて「ほとんどつながりません」
2. 乾電池式の製品をあてにしない
連絡は、バッテリー節約の意味も込めてメールで行うのが良いと思います。携帯を使いまくって早々とバッテリー切れを起こす人(特に長電話の女性と携帯TVを見ていた人)が続出。予備の携帯バッテリーを持つのも有効です。夜間は電源を切ってバッテリーの延命をはかるくらいの慎重さが必要です。電気の復旧まで長期化する場合、乾電池式の器具はあてになりません。「手回しで電気を起こすラジオ付き懐中電灯」が役立ちます。震災後に乾電池を求める人が多く、店では品切れの状態が長く続きます。
非常食とガス
1. 缶詰が最も優れた非常食
2. カセット式ガスコンロを過信しない
とにかく缶詰は頼りになります。水も火も入りません。魚やお肉も食べられます。カセット式ガスコンロもボンベのカセットが無ければ意味がありません。震災後に店からガスボンベが一斉に無くなりました。ある程度の数のボンベを在庫しておくか、バーベキュー用の調理器具と炭で調理できるように準備しておくことも有効な対策です。
そして最も大切なこと。近隣の方々と声を掛け合うことです。治安も悪化していきます。皆で難局を乗り越えていこうという助け合いが何よりも大切です。
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仙台で貿易管理のお仕事をされておられる方から寄稿いただきました。
震災直後の街の出来事が記されています。
ありがとうございました。
震災後の小さな出来事
Unity Gate 坂内 著
震災による被害は、多くの方が詳しく伝えて下さっているので、ここでは触れないでおこうと思います。今日は、震災後に街で起きた小さな出来事についてお話をさせて下さい。
震災直後、物流網が寸断され被災地に深刻な物不足を引き起こしました。ライフラインの全てを失った街は、13日から真冬並みの寒気に包まれ、早くも燃料枯渇が懸念され始めました。水、食料、燃料、尽きたら終わりです。カップラーメンが非常食に適してるなんて幻想もいいところ。カップラーメンが食べられるのは水も火もある恵まれた人です。これが「ライフラインを失うこと」の現実です。
大学生の息子は、震災直後から以前勤めていたバイト先の大手薬局チェーン店で開店準備のためにお手伝いをしていました。食品や日用品を売る大規模店がいち早く復旧することは、人々の最も待たれるところです。宮城県のボクシング ライト級チャンピオンの経歴を生かし?お客さんの誘導兼やんちゃなお兄さん達を追い返す係を担当。そんな中、身長150cm位で腰の曲がった齢80を超えたと思しきお婆ちゃんが、お店にみえました。着ている服からあちこち綿がほころび出ていたといいます。「介護用のオムツと食べ物を売って下さい」と申されました。しかし外は、既に閉店の案内を出しており群衆の不満が爆発寸前という状態です(4時間待ちが当たり前という状態)。
「申し訳ありません」とお断りをすると、「もう、米も食べ物もなくて・・・」と俯かれます。裏口から食品の一つも渡してやりたいと思っても他人に見られたら暴動に発展しかねません。唇を噛みしめ心の底から頭を下げました。「すみません・・・本当に、本当にごめんなさい」帰って行く老婆の背が滲んだそうです。
物資は豊富にありながら物流が機能せず人々の暮らしが成り立たなくなっていくという現実。日本関税協会主催の中国貿易セミナー等を担当される岩見辰彦先生とお話をさせていただいところ、震災復興に肝心の物流業者はいつも蚊帳の外、陸海空の様々な輸送のノウハウを持つ業界の力を効率よく活用すべきと提言されていました。私も微力ながら岩見先生の提言を行政に働きかけていこうと思っています。
とりわけ社会的弱者にもっと手を差し伸べていく必要性を感じます。皆様からの応援が、被災者の方々の何よりの励みになります。これからもよろしくお願い致します。
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茨城県北部在住で被災された方からのご寄稿です。
ご近所の方々と助け合って過ごされた2週間の体験が書かれています。
ありがとうございました。
多くの人のあたたかみを肌身で感じた2週間
tetu 著
大地震の被災者の皆様に心から御見舞申し上げます。
茨城県北部に会社・自宅があり、地震後、3日間の停電と12日の断水を経験しました。
地震の時は、たまたま休みで自宅にいました。最初の揺れがおさまり外に出ると、塀は崩れ、屋根から瓦は落ち、道路は所々にひびが入っていました。その後、突き上げるような揺れが何度かあり、立っていられず地面に手をついて過ぎ去るのを待つしかありませんでした。
電気・水道はストップし、夕暮れとともに、これから訪れる暗闇でどうすごすかを考えるようになりました。道路に集まった人たちと、食料・飲料・明かり・携帯ラジオを準備するよう声をかけ合い、それぞれが準備に。近くのコンビニには食料を調達する人々が押し寄せ、明かりが消え、商品が散乱した店内では、以外と冷静に電卓をたたく店員の姿が印象的でした。
停電の夜、寝るスペースがないと転がり込んできた友人家族を我が家に受け入れ、電気もガスも水道もない生活が始まりました。30分に1回ぐらい訪れる強い余震に怯えながら、車の中で一夜を過ごした人も少なくないようです。
寒い中、夜中に外にでてみると満天の星。自分の家からあんなにきれいな星空を見るのは子供の頃以来です。南の空に"さそり座"の釣り針形が確認でき、不安の中、ちょっとだけ心が和むとともに、日頃の光害の酷さを実感しました。
地震後4日目の正午に電気が開通し、ラジオでは聞いていたものの初めて目にする東北地方の震災には声が出ませんでした。テレビではさかんに災害伝言のしかたを放送していましたが、電気のない場所には届かないのです。
なおかつ3日目ぐらいには携帯電話のバッテリーが切れて連絡手段がなくなりました。手回し充電機があったので携帯電話の充電を行いましたが、 使える状態になるまでには何時間も回し続ける必要があり断念。今回の教訓は、車のシガーライターからの充電キットを持っておくべきということです。
ガスは幸いプロパンガスでしたので、地震翌日に販売店の方が点検に来てくれて使えるようになりました。冷蔵庫の中で解凍し始めた冷凍食品と炊飯器の中に残されたご飯を分け合って食べました。近所の人たちと食料を分けてもらったりもしました。
水について。近所の方が自宅の井戸に「ご自由にどうぞ」の張り紙をして開放していました。頭の下がる思いでお世話になりましたが、その井戸は1週間で涸れてしまい、その後は市や自衛隊からの給水にお世話になることになりました。13日目にやっと水が出ましたが、赤水で飲料できず、その後も4日間は給水のお世話になりました。
東北地方の震災に比べれば掠り傷程度ですが、地震後の2週間は多くの人のあたたかみを肌身で感じました。この経験をこれからも忘れることなく、人の絆を大切にしていきたいと思います。
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地震対策を勉強してこられた方からの投稿です。
某自動車部品メーカーから学んだことが報告されています。
ありがとうございました。
震災に関して思いをあらたにしたこと
西日本の製造業勤務のM.K. 著
私は、製造業(自動車部品・OA機器部品)に勤務しています。私の会社および私個人は、これまで幸いにして震災時に被災もしていませんし、特別に何か対応しなければならない状況になったことがありません。したがって、今回のテーマに関して、身をもって体験したことを書くことはできません。説得力不足の文章になりますことは、ご容赦ください。
但し、私はこれまでに会社の地震対策プロジェクトの事務局を担当したことがありますし、お客様である自動車メーカーさんの主催する地震対策研究会へ参画したこともあります。机上かもしれませんが、ある程度の地震対策を勉強してきましたし、同じ立場の他社の方々との交流機会にも恵まれました。
そうした経験の中で中越地震の際に、全国的にも報道された自動車部品メーカー(A社と記す)の例から学んだことを以下に記します。実例であるがゆえにたいへん勉強になりました。
震災対応の前提になるのは、
①自助・②共助・③公助という考え方です。
震災後は、警察も消防もレスキューもすべてに対して対応することはできません。震災後も震災前も、共通する優先順位の第1位は、「人命第一」です。当然中の当然です。人命が確保されればこその復旧です。
そこで①自助
A社では、事前に、建屋耐震化と設備転倒防止をしてありましたので、従業員がみな無事でした。これが何よりです。多少の被災はありましたが、すぐに対応が可能でした。しかし、周囲は被災していますので、水道などのライフラインが使えませんでした。
次に②共助その1
まずA社は、自社の復旧よりも、近隣住民の支援を優先しました。瓦礫の撤去や、被災した住民への支援活動をしました。つまり、共に助けることから始めたわけです。これは行政は水道を優先的に回してくれたという配慮(公助)につながります。
②共助その2
自動車産業は、部品が1個ないだけで車が作れないため、顧客である自動車メーカーや他の自動車部品メーカーが稼動停止を余儀なくされこともあり、続々とA社の応援にかけつけました。腕のある職人さん、設備マンたちです。そして、応援部隊の隊長さんの強いリーダーシップと事実の適切な把握により、適切な対応手段・適切な優先順位づけにより、奇跡的に1週間で生産再開できたというわけです。
③公助
公助は、一番最後なのかもしれません。ですが、公的機関が悪いわけではなく、公的機関も的確に優先順位づけをして、人命・安全にかかわることを最優先にしているからこその一番最後だと思います。
昨今、リスクマネジメントとか事業継続プラン(BCP)を事前に確立するという動きが活発化しています。
これは、とても重要ですし、必要なことと思います。しかし、想定条件という前提がベースになっています。想定外のことが起こるのが緊急事態ですから、リスクの軽減の意味では有効ですが、リスクマネジメント・BCPがあるから大丈夫・安心ということはありません。また、幸い自組織が問題なくても、他組織やライフライン・道路などが被災することで、想定どおりにことが運ばないこともあります。
そこで、事前の備えを考える上で、ある意味で大事なのが『健全な覚悟』のような気がします。人間の想定外のことが起きるのが、自然災害です。自然災害によりリスクマネジメントやBCPがうまく機能しなかったとしても、しくみに対して非難だけしていても何も前には進みません。想定外のことは起きるものだという『健全な覚悟』をしておくことは必要と考えます。
その際には、今現実におきている被害の事実を的確に把握し、必要な対応策と、優先順位を、タイムリーに判断するリーダーシップとリーダーを支えるエキスパートたちのアイディアが、とても大事になると思います。実は、これは、みなさんおなじみの品質マネジメント8原則のb)リーダーシップ、c)人々の参画、g)意思決定における事実にもとづくアプローチに他ならないように思います。
以上をふまえた上でも、震災前(平時)に備えるべきことは、
まず、建屋の耐震化、設備等の転倒・落下防止処置。避難経路の確保になります。しかし、これにはかなりの投資を要することで、奇麗事ではできません。経営者の意思が必要です。でも、従業員が命を落としてしまうことと比べれば、なんてことはないはずです。人間の命がなくては、何もできません。次に避難場所と非常備品の確保です。これが各家庭でできていれば、今回の震災後に見られる不要な買い占めもなかったことでしょう。
次は、近隣(住民さん、行政さん)との連携体制づくり。ご近所さんあっての会社ですし、緊急時はもちつもたれつです。
そしてようやく、自社生産ラインの防衛、仕入先のライン防衛になりましょう。
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水道施設関係の会社にお勤めのASAさんの寄稿です。
プロの目から見た浄水関係の貴重な情報発信も含まれています。
ありがとうございました。
東北地方太平洋沖地震、会社では
ASA 著
水道施設関係の会社に勤めているASAです。
東北地方太平洋沖地震において、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
ASAは東京本社勤務のため、今回の震災の被害は軽微で震災当日帰宅難民になっただけで済みました。実際には社有車の相乗りにより順次社員の帰宅が行われたため、本社で夜を明かした人は十数人に止まったようです。ただし外出していたものの中には30km弱を踏破し、やっと帰宅できたものもいました。
震災直後より会社のネット上に地震掲示板が立ち上げられ、全国各地の工事現場や営業拠点の被災報告がぞくぞくと寄せられましたが、仙台の営業拠点、福島原発直近の工事現場とはなかなか連絡が取れず心配しましたが、それぞれ13日、11日深夜には無事が確認されました。
特に福島グループ9名は現場から一旦いわき市に避難し、そこから本社のものは帰京しましたが、13日に立川の国立病院機構災害医療センターにて被爆のスクリーニング検査を受け、被爆なしと判定されたことは幸いでした。
台風などの災害の場合には自治体より、直後に施設復旧の緊急要請があるのですが、今回の震災では施設復旧よりも災害用浄水機の貸出し依頼が目につきます。それだけに震災の深刻さが伺えます。
23日には東京都金町浄水場の水道水に乳児暫定基準以上の放射性ヨウ素が検出されたとのショッキングなニュースが全国を駆け抜けました。当社にも家庭用浄水器は放射能除去に有効か?との問合せが多数寄せられましたが、「(MF、UF膜を使用した浄水器では)残念ながら効果なし」とお答えしています。
災害用浄水機も地震・台風を想定したもので、放射能災害などは全く想定していなかったというのが実情です。放射能災害に使える浄水機は在庫が全く足りていない状況で、製作に向けて動いていますが、早くても5月完成となってしまいます。
ISO的には「4.4.7 緊急事態への準備及び対応」で不適合になるのでしょうか?
その後気付いたのですが、本社に取付けられている「給茶機」の水はRO膜でろ過されたものです。調べてみると放射性ヨウ素のろ過には効果がありそうです。となると、ご近所に乳児の居るご家庭があった場合、お裾分け(給水と言えるほどの量は確保できないため)も考えねばなりません。これは、「外部コミュニケーション」と「地域貢献」に当たりそうです。
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中堅建設会社に勤める方から投稿をいただきました。
阪神・淡路大震災の経験を踏まえてのご提言です。
ありがとうございました。
震災地で見たままを発信する重要性
中堅建設会社勤務 H.K. 著
私、建設会社に勤務し30年になります。今回の東北大震災をうけ、阪神・淡路大震災のことが改めて脳裏によみがえりました。当社は建設という職務上、早期の国土復興に向け全国から緊急に集められた数十名の社員・技術者が、着るものもさておき阪神に駆けつけ工事にあたりました。私は仙台支店に勤務し組合の支部長を担当していたこともあり組合員の安全な生活確保の確認という観点から、震災の現場に出向きました。
やはり新聞やテレビで見るのと自分の目で見るのとでは大きく違い、その震災の甚大さを肌で感じました。また、土日を返上し、寝る時間も惜しみ、食事も不十分なコンビニの弁当で永らく済ませながら、一途に地域住民の早期の生活安定、分断された物流自動車網や港湾の復旧に尽くす社員を見て胸が熱くなりました。帰ってから震災の状況、職員の復興への想いと行動を写真も交えてリポートにまとめ社内に発信しましたところ、かなりの反響がありました。それは報道でしか伝わらない情報の中で、自分の会社が、社員である仲間が必死に国や社会の復興のために取り組んでいることを紹介できたことで、他の地域の社員も共感し、人を送り出すことによる不足・不十分さへの不満を克服し、社員・会社が一体となったことを記憶しています。
これらの体験を踏まえ、言いたいことを要約しますと2点です。
一つ目は、震災の甚大さ・悲惨さを流す報道は多い様に思いますが、もっと支援している人復興に向け必死に取り組んでいる多くの人たちへ焦点をあてていただくことも大変重要で、そうすることで復興への意識・力がわいてくるのではないでしょうか。
二つ目は、報道(テレビや新聞)だけにとらわれず、邪魔にならない程度に震災地に出向き、ありのまま見たまま感じたままを社内外に情報発信することの重要性を感じました。
そうすることで、より震災の悲惨さを直に感じとり、復興に向け支援している人たちの善意の熱い思いを受け、がんばろうという意識が高まり、社内外に復興への熱意と維持につながっていく大きなエネルギーの一助になっていくように思います。
現在私は東京本社に勤務していますが、過去の経験を踏まえ 社内、OB、国際的な呼びかけを行い、義援金を募っています、できる範囲で。
がんばろう東北!負けるな日本!です。
拙い文を投稿させていただきました。
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