先日、群馬で講演をする機会があったのですが、その席で会場の方(群馬県内のISO認証組織の管理責任者約60名)に「内部監査で観察事項を使っておられる方は、どれくらいおられますか?」と聞いてみました。すると、観察事項を使っておられる組織と使っておられない組織の比率は、半々でした。
例えば、第三者審査や内部監査を取材していると、審査員や内部監査員が、「この点については、こちらの部署で検討してみてください」「ここはもうちょっと考えたほうがよろしいのではないでしょうか」「このようなやり方もあることを提案しておきます」「この点には注意してください」といった表現を、よく聞きます。指摘の文末にこのような言葉が付いたものが、観察事項(審査機関によって「オブザーベーション」「改善の機会」など、言い方は様々です)と考えてください。
第三者審査で観察事項が出されたとしても、受審側には是正処置が要求されませんから、観察事項に対応するか否かは、受審側の自由裁量です。第三者審査で観察事項を使うのは仕方がない面もあるでしょう。しかし、内部監査で、観察事項を使うことに、つまり、被監査側の自由裁量を持ち込むことに、どのような意義があるのでしょうか。
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前日掲載した門岡さんの出題の解答は下記のとおりです。
前回の問題の解答は、重要な順に2>1>3です。いろいろご意見はあるでしょうが、私はこの順番だと信じます。不適合を起こした原因を具体的に明確にするためには、経緯・事実関係をすべて掘り出さなければなりません。事実を関係者の記憶が薄れないうちに収集し、是正処置の必要性をみんなが感じているうちに分析しましょう。
(アイソス5月号86ページ掲載)
順番の一番最初の2というのは、下記の内容です。
2 ミスをしてしまった人が、責められると感じることなく、事実をありのままに話せるように、ミスした人を責めないことを約束し、そのことを行動で示す。
う〜ん、これって大変むずかしいことですよね。とくに、今までそういった空気がなかった会社は、リーダー自らが不適合申請を歓迎する宣言みたいなことをしなくちゃいけないのかもしれない。この点について、門岡さんは次のように語っています。
ミスした人をほめよう!
客観的な事実から明らかにできることは多くはありません。不適合の状況の多くは、失敗・ミスをした人しか知りません。ありのままを教えてもらわなければ、本当の原因・役立つ是正処置にはたどりつけません。
ミスした人・失敗した人は打ちひしがれています。責められると思えば本当のことを言いにくいかもしれません。ミスした人、失敗した人を責めてはいけません。ミスをしない人、失敗しない人はいないのです。私は、ミスをたくさん積み重ねてきました。自分の失敗を棚に上げて人のミスを責める......それって、人の道を外れていないでしょうか。
「よくぞ不適合を起こしてくれた!ありがとう。これで、わが社の仕事のやり方をより一層合理化し、ムダのない儲かる仕事の仕組みに改めることができる。社長から金一封が出るぞ ! 」とまで言える会社、課長さんは多くはないでしょうが......不適合が発生した状況を明確にできる組織は、継続的改善に向けて前進できる組織です。
(アイソス4月号109ページ掲載)
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三男坊が小学校1年生の時です。
「すみませんが、もしよろしければ、一緒にゲームに参加してもらえませんか?」
息子が参加している少年野球を見学していると、休み時間に監督から声をかけられました。
低学年のチームで、明らかに人数が足りなさそうだったので、参加しました。
ゴロやフライを捕ると、味方からは「ナイス!」「やったあ!」と声がかかります。
敵からは「ずる〜い!」「なんであそこにオトナがいるの!」とブーイングがきます。
打順はオトナにも回ってきました。
ヒットを打ちました。
まだ名前を覚えられていないので、味方の選手が「さすがオトナですねぇ!」とほめてくれます。
私の1つ1つの行動に、必ず1つ1つレスポンスが返ってくる世界でした。
翌週からは毎回、息子にくっついて少年野球に出かけました。
ある日、息子が風邪を引いて、野球を休んだことがあります。
私はというと、もう気分は朝から野球モードになっていたので、とにかく顔を出してみることにしました。
朝、グラウンドに出てくると、まず子どもたちが不思議がりました。
いつもの二人連れが、今日は一人だからでしょう。
一人の子どもが「あれ? △△君は?」と聞いてきます。
「今日は風邪で休み」と答えます。
今度は別の子どもが「あれ? △△君は?」と聞いてきます。
「今日は風邪で休みだよ」と答えます。
そんなことを繰り返しているうち、オトナたちも異変に気づいたようです。
低学年のコーチが聞いてきました。
「あれ、△△君は?」
「今日は風邪でちょっと・・・」
「△△君は休みなのに、お父さんは来てくださったんですか!」
「ええ、まあ・・・」
「オオーッ!」
私の周囲に立っていたコーチや監督や常連のオトナたちが歓声をあげました。マネージャーの女性は「すごーい!」と言って、手までたたいてくれました。
なにがそんなにすごいのか、私には分かりません。
ですが、人にこんなに歓迎してもらったことは、はじめてでした。
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ちょうど今ごろの季節です。
高校を卒業し、就職したばかりの姉は、翌朝会社に着ていく服を何にするかで、毎晩悩んでいました。鏡の前に立って、服を合わせながら、「なんでこんなに服が少ないの」とか、「初任給で絶対服買うから」とか言って、怒ってました。
朝は朝で、化粧がうまくいかず、イライラしていました。そんな姉に対して、母が容赦なく「アンタ、いつまで鏡の前に座ってるのよ」と言うものだから、鏡の前で口論になり、それで、また化粧が長引きました。
40年ほど前の話です。
あらたな希望と緊張の中で、若い姉がエネルギッシュに怒ってました。
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「LA(large accounts;大手顧客)にフォーカスしたマーケット戦略をとっている」
グローバルに認証ビジネスを展開している審査機関の審査責任者がよく使う表現だ。major clientsという表現する機関もある。
「認証件数が堅調に伸びているのはなぜか?」
「LAをしっかりと押さえているからだ」
「中国のような認証成長国に対する戦略は?」
「成熟国で培ったLA対応のノウハウを、海外のLAに対しても展開する」
といった具合である。
このようにキッパリと「LA中心です」という言い方は、日本の大手審査機関はあまりしない。審査機関にとって、大手企業はもちろん重要な得意先だが、クライアント数から言えば、中小企業のほうが圧倒的に多いので、中小企業に気を遣ってか、露骨に「大手中心」とは言わない。
口に出して言うか、言わないかの違いだけなのだが、「中小企業に気を遣って発言を控える」という考え方は、日本独特のものなのだろうか、と思ってしまう。
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昨日に続いて、Shikaさんからの寄稿の後半部分を掲載します。
今回の震災に対してShikaさんが思ったこと、訴えたいこと、教訓として得たことが書かれています。
福島の浜通りが日本地図から消されないために(2)
Shika 著
まず最初に。
こんなに大きな災害にあったとしても仕事があるというのは、幸せなことです。
仕事をしていれば、余計なことを考える時間が少なくて済むのと、悩まなくて済むからです(ネガティブなことで...)。
福島県いわき市は、風評被害地域です。
地震、津波、原発関係の三重苦です。東京に福島県のアンテナショップがありますが、そこでは、そんな風評被害をなんとも思わず、購入してくださる消費者の方がいます。本当にありがたいことです。
そんな話もある中で、社員から聞いた話ですが、「いわきナンバーの車は、ここに止めるな」とか、 「スクリーニング受けた証明を出せ」など、言われもないことで迷惑を受けています。産廃業者さんの話では、いわきから持ってきたゴミは、放射線測定器で1μSv/h以上であれば、納入させないと言われたとのこと。
最近でこそ、品物がお店に並ぶようになりましたが、先週前半までは、商品が入らず、入場制限や商品がなくなり次第終了というお店が多かったです。いわきでの地元のお店は、ガソリンが少ない中、どこかまで取りに行き、品物を並べて、販売して、ということを一生懸命やっていました。ガソリンもようやく先週末から大行列を作らずに入手できるようになりつつあります。
支援物資も届くようになっているようですが、仕訳が追いつかない。情けない話です。仕訳している役所の方も被災者です。私は、東京に避難していたので、大きな声で言える身分ではないのですが、同じように地元で被災している役所関係の公務員の頑張りには、頭が下がる思いです。今まで、「親方日の丸でつぶれない閑職」とみていましたが、この復旧の対応や頑張りを思うと、大変申し訳なく思います。
消防や警察は、放射線が降り注ぐ中で、懸命の捜索・情報収集の仕事に従事されていて、ほとんど休みなく働いています。20日ぶっ通しで働いていて、本当に頭が下がる思いです。
昨日、岡田幹事長がいわきに来て、ハウス栽培でのトマトを食べて、全く問題ないといってくれましたが、ならばこそ、支持母体のイオングループで売ってほしい、と思うわけです。
本当に政府が、問題ないというのであれば、O-157騒動のときのカイワレ大根のように、閣僚がそろって、問題ないという食品を現地で食べてくれと思うのです。
飯館村の話も同じです。IAEAと政府見解が違うのなら、飯館村で会見を開き、そこに閣僚を常駐させて、だから問題ないというのが欲しいのです。そこに政治家がいて、住民と一緒であることをアピールしているなら、安心できるかも。
農業や酪農、漁業に対して、今後、もっと被害が出ることが予想されます。第一次産業に従事している人たちに対して、政府はもっと早く手を打たないと、自殺者が増えていくような気がしてなりません。この大震災で生き残ったとしても、生活する場所をなくす人達に対して、手を打って欲しいものです。
例えば、原発から20-30kmの自主避難地域(自宅退避地域)は、水や食料をどうやって手に入れるのか。誰が運んでくれるのか。自分でとりに行くとして、ガソリンが入手できないのにどうやって...。自宅避難民に対して、救援物資は届いていません。
ぜひ、グーグルアースを見てください。
北茨城から、八戸まで見てください。
港には、大型船が上がっています。岸壁近くには、船が沈んで、船底を見せています。どこの場所も同じようになっています。津波被害の場所は、どこも面積の大小はあれども、茶色になって、瓦礫がいっぱいあります。
先週まで、自分達は言っていました。「福島の浜通りは、日本地図から消されてしまうだろう。被害状況も把握されず、物資の手配も遅れていて、政府から見捨てられた場所だ」と。
本当にそうならない日を待っています。
今回の教訓をまとめてみました。
▽ドコモのメールも、つながりやすい機種とつながりにくい機種がある。
▽比較的新しい携帯(販売後1.5年程度)は、つながりやすかった。
▽3年以上前の機種は、つながりにくい、若しくは、ほとんどつながらず。
▽大地震では、救援は7日以上かかる。
▽ガソリンの携帯缶は、1つは持っていたほうがよい。
▽水は、風呂1つ分では、2人で5日程度しか持たない(疫病を発生させないために、排泄物を流すことと手洗いのため)。
▽水を使用しないトイレを買って準備しておくのがよい(今回が春先でまだ救われている。もし、これが夏だったら、腐敗臭と疫病が蔓延するだろう。特に、排泄物の処理がうまくできないと。そのためには、水を使わないトイレが必要と思われる)。
▽米は、常備しておくに限る。カップめんは、役に立たない。
▽水は、ウォーターサーバーみたいなものがあると、飲み水の常備ができるので、考えたい。
▽手洗い用に、アルコール消毒薬があるとよい。
▽英語ができると、世界に向けて情報発信ができるので、できたほうがよい。
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福島県いわき市に勤務先と自宅があるShikaさんからのご寄稿です。
地震発生から現在に至るまでの会社のこと、自分のことを記述されています。
本日と明日の2回に分けて掲載します。
ご寄稿ありがとうございました。
福島の浜通りが日本地図から消されないために(1)
Shika 著
東日本大地震の被災者の皆様に心から御見舞申し上げます。
それから、多くの皆さんが、被災者の方のために義援金を送ってくださったり、何かお手伝いをと考えて頂いていることに対して、とても感謝し、御礼申し上げます。
その気持ちを何年か持っていただけるのであれば、東北が復興の兆しを見せたときに、東北でお金を落としてください。東北の経済活性にご協力ください。
会社のこと、私のことを、時系列でまとめたいと思います。
私の勤務地及び自宅は福島県いわき市にあり、原発からの直線距離40数キロに位置します。
【3月9日 大地震前】
埼玉の工場で外国の協力工場さんと打合せ中に結構大きな地震があり、お客さんに「日本は地震国だから、このぐらいは平気ですよ」なんて、軽口をたたいていました。その後にこんな大きな地震が来るとも思わずに...
【3月11日 大地震当日】
(会社のこと)
当日は、工場で勤務していました。工場は、大量の毒物を扱っている工場で、製造中でした。工場には、お客さんが2組いました。1組は、愛知県からのお客さん。もう1組は社内(茨城県、東京都)でした。
地震発生後、愛知県のお客さんは、東京の営業担当者が社有車にてすぐに関東まで送りました。社内のお客さん(所属が異なります)には、社有車を貸すこととし、翌日返却してもらいました。会社へは各所から生存の確認の連絡がありました。
2ヶ月前にEMSの定期審査があり、緊急事態が弱いとの事から、見直していたこともよい方向に働きました(大地震前にも震度3程度の地震があり、連絡体制や報告書が上がっており、緊急事態を見直していました)。毒物漏洩という最悪のシナリオは全くなく、毒物の取扱のエキスパートがその力を発揮していたと思います。
会社の工場は、硬い岩盤の上に建っており、その分他所と比べると揺れが小さいのも幸いして、工場建屋や製造設備に問題はありませんでした。地震後も停電時間は20分程度でした。工場の近くに浄水場があり、水が止まる事はありませんでした(震災後一度も止まりませんでした)。工場としては、地震が多少収まった後、とりあえず14日まで帰休と言うことで、解散しました。
(私のこと)
地震発生後、サーバーの電源を落とし、担当場所の確認をして、課員の安全を確認した後、担当エリア内の電源を落とし、薬品類の廃棄等への対応を指示して、打合せに出席しました。その途中で、関東や中部地方にいる仲間から、バンバンメールが入ってきます。津波の話も入ってきました。課員に帰休の旨を通知し、嫁に確認メールを送って、工場を後にしました。
途中で、コンビニに寄り、手軽に食べることができるパン類の確保をして、家に帰り、風呂を洗って、水を汲みだめしました。家も、山の上なので、損傷はありませんでした。電気も一度も止まっていません。水は、1日半後に断水しました。
嫁の実家が小名浜地区で、海に近いことから、嫁が、自分が勤務する会社からすぐに見に行きました。その会社は、地震の揺れが収まった後、すぐに休業の判断をしたそうです。幸いにして、嫁の実家の津波被害は、隣の家、三軒向こうの家、道路挟んだ向かいの家までで、紙一重でした。床上、床下浸水もなく、駐車場まで水が来たとのことでした。
余震もあり、津波警報が発令していて、いつまた津波が来るか心配だったので、すぐに我が家に避難をしてもらいました。義父母の話によると、津波の第一波はたいしたことなく、3時過ぎの第二波、三波がひどくて、第一波で様子を見に行った人がさらわれてしまったようです。
【3月12日-13日】
土日は、そのまま過ごしていました。しかし、地元の情報は、地震当日から、原発はよくない方向に進んでいるとの情報が流れていました。
【3月14日】
(会社のこと)
通常通り出社し、被害状況の確認をしました。従業員の家族の被害(被災)状況の確認をして、家が流されてしまった従業員は、社宅の手配等であたふたしましたが、各課とも、危険物・毒物の始末をして、きちっと鍵をかけて休業としました。休業になれば、各自の判断で、原発から自主避難できるからです。
会社は、電気・ガス・水道のライフラインは生きていたので、水道水の開放と風呂の開放を決めました(風呂は、ガスがなくなるまでですが)。
(私のこと)
通常通り仕事をしていました。3月22日からシンガポールに出張の予定だったのですが、まだ行くかどうかの最終決定が出ていませんでしたので、その準備とその他雑多な仕事に追われていました。
会社にはサーベイメーター(放射能による環境汚染を監視したり、放射性物質による器材汚染を検査したりするのに用いる可搬型の簡便な放射能測定器)があるので、それを探したのですが、必要なときに限って出てこない...そんなことがありました。
【3月15日】
(会社のこと)
いよいよ、原発がまずいというので、社員の現状情報収集とサーベイメーター探しに集中して仕事をしていました。東京の営業から、出荷の確認や指示の電話が来ていたのですが、いわき市は被災地と思っていないらしく、「なぜ出荷できないの?」とあまりに頓珍漢な発言にがっかりしました。TVで、岩手県や宮城県のことは放送されても、福島県は原発の話で終わっているようなので、仕方ないかも知れませんが...
(私のこと)
午後3時過ぎにサーベイメーター探しをあきらめ、実家(千葉)に避難するため、いわきを出発しました。義父母は、義姉の旦那の実家である福島県伊南村に避難しました。
常磐高速は、全面通行止め(緊急車輌はOK)ですが、とある情報から、いわきからの避難といえば高速に乗れるという話を聞き、乗りました。道路情報がわからないので、60km/h程度で走りました。ポツリポツリと走っている車もいました。水戸の手前ひたちなかで、掲示板に「この先対面通行」と言う表示が出たので、ひたちなかで降りました。料金所で経緯を説明すると、車のナンバーと名前、住所等をチェックされましたが無料でした。
その後、途中で、ガソリンスタンド渋滞に巻き込まれたこともあり、6時間くらいかかって実家に着きました。実家は埋立地なので、液状化現象の心配をしていましたが、たいした被害はなかったように見えました。
【3月16日】
シンガポール出張の件で、東京に出社しようと思い、工場長に指示を仰ぎましたが、行かなくていいとのことで、一日実家にいました。どっちにしても、海外出張の有無をはっきりさせるため、東京に行く必要があったので、明日は東京へ出社することにしました。
【3月17日】
東京への出社は、計画停電があるとのことで、通勤ラッシュ時に電車に乗るのを控え、ちっょと遅く出社しました。東京の営業部では、いわきに残っている人についての必要物資についての調査をしていて、翌日に救援物資を各家に配送する手はずをしていました。ガソリン以外では、食料と水が不足していました。水は、工場に来れば、あるのですが、工場に行くガソリンがないのが、つらいところでした。
社長らと海外出張の話をどうするか詰めたところ、結局、「行かなくては始まらないのであれば、行って来い」とのことで、計画通り行くことになりました。この海外出張は、埼玉の仕事なので、そのまま、埼玉の工場に出向き、打合せをすることとしました。計画停電のため、通常は1時間程度で帰れるところが、3時間くらいかかってしまいました。おかげで家に着いたのは、ほぼ午前様です。
【3月18日】
昨日に引き続き、埼玉の工場で打合せと資料作成を実施しました。計画停電のため、出社時間をずらして出社し、帰りも昨日同様、午前様でした。
【3月19日-21日】
海外出張用に会社から携帯を授かっていないので、日本の会社や家族との連絡は、自分で用意することになりました。ドコモシッョプに行ったのですが、店員の説明が的を射ず、いっそのことスマートフォンにと思ったのですが、希望のものがなくて、結局iPhoneを契約しました。出張直前まで、ドタバタです。
【3月22日-25日】
持病を持っており、シンガポールで食べられる物があるかどうか不明だったので、スーツケースに食パンを2斤とその他のちょっとした物を詰め、埼玉の工場で打合せをしたあと、羽田からシンガポールに飛びました。日本と20℃以上気温差があるので、着る物が大変でした(夏服と冬服)。
シンガポールは、私と営業担当の2名で行きましたので、言葉はなんとかなりました。行きは機中泊で、なかなか寝ることができなかったのですが(前の乗客がシートを倒すと、私のひざに当たるので、何回も起こされました...)、何とかなりました。
シンガポールでは、仕様の打合せと監査と納期関係で、あっという間に時間が過ぎてしまいました。帰国は、成田だったので、嫁に迎えに来てもらいました。その頃には、既に関東では、ガソリンの入手は容易になっていました。
帰国後、携帯に「28日、管理職は工場に出社のこと」というメールが入って来ました。
【3月28日】
いわき工場再開についての打合せがあり、業者の手配が始まりました。ただ、業者さんは引く手あまたで、なかなかつかまりません。いわき外の業者は、原発の放射能の関係で、いわきに来ません。
【4月5日】
ちなみにいまだに、いわき工場の休業は、解けていません。
しかし、一刻も早い操業開始のため、有志が点検、補修をしてます。
(明日後編を掲載します)
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昨日に続いて坂内さんが、自らの被災体験に基づき、震災に遭遇した時の対処法について記してくれました。
ありがとうございました。
被災生活でまず確保すべきこと
Unity Gate 坂内 著
被災生活の中で、お役に立ちそうな情報を幾つかお伝えしたいと思います。
アイソス日記の読者の中からニ度とこんな目に遭う方が出ないよう切に願いながら。
もし、不運にも被災してしまったら。
水の確保
1. 普段から浴槽の水はむやみに排水せず貯めておく(200Lの生活用水となります)
2. 地震が起きたら即座に家中の器に水道水を汲んでおく。もちろん浴槽も満水に!
3. 2リットル用の空ペットボトルは、家族の人数分用意
水道は、急に止まりません。そこで大多数の人が騙されました。「水道は無事だ」と、しかし、翌朝断水している事を知るのです。給水ポンプが停止しても水道菅に圧がかかっているので、ある程度は水が出ます。ここで飲み水を確保できるかどうか、その後の生活を大きく左右します。
自治体によっても違いますが、給水は、1人2リットルまでのところが多いです。大きいポリタンクを持っていても満タンに貰える保証はありません。給水する側も 計量の手間が省けるので2リットルペットボトルが喜ばれます。
電気と通信の確保
1. 震災後しばらくは、携帯電話が「つながりました」しばらくすると携帯基地局の非常用電源が切れて「ほとんどつながりません」
2. 乾電池式の製品をあてにしない
連絡は、バッテリー節約の意味も込めてメールで行うのが良いと思います。携帯を使いまくって早々とバッテリー切れを起こす人(特に長電話の女性と携帯TVを見ていた人)が続出。予備の携帯バッテリーを持つのも有効です。夜間は電源を切ってバッテリーの延命をはかるくらいの慎重さが必要です。電気の復旧まで長期化する場合、乾電池式の器具はあてになりません。「手回しで電気を起こすラジオ付き懐中電灯」が役立ちます。震災後に乾電池を求める人が多く、店では品切れの状態が長く続きます。
非常食とガス
1. 缶詰が最も優れた非常食
2. カセット式ガスコンロを過信しない
とにかく缶詰は頼りになります。水も火も入りません。魚やお肉も食べられます。カセット式ガスコンロもボンベのカセットが無ければ意味がありません。震災後に店からガスボンベが一斉に無くなりました。ある程度の数のボンベを在庫しておくか、バーベキュー用の調理器具と炭で調理できるように準備しておくことも有効な対策です。
そして最も大切なこと。近隣の方々と声を掛け合うことです。治安も悪化していきます。皆で難局を乗り越えていこうという助け合いが何よりも大切です。
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仙台で貿易管理のお仕事をされておられる方から寄稿いただきました。
震災直後の街の出来事が記されています。
ありがとうございました。
震災後の小さな出来事
Unity Gate 坂内 著
震災による被害は、多くの方が詳しく伝えて下さっているので、ここでは触れないでおこうと思います。今日は、震災後に街で起きた小さな出来事についてお話をさせて下さい。
震災直後、物流網が寸断され被災地に深刻な物不足を引き起こしました。ライフラインの全てを失った街は、13日から真冬並みの寒気に包まれ、早くも燃料枯渇が懸念され始めました。水、食料、燃料、尽きたら終わりです。カップラーメンが非常食に適してるなんて幻想もいいところ。カップラーメンが食べられるのは水も火もある恵まれた人です。これが「ライフラインを失うこと」の現実です。
大学生の息子は、震災直後から以前勤めていたバイト先の大手薬局チェーン店で開店準備のためにお手伝いをしていました。食品や日用品を売る大規模店がいち早く復旧することは、人々の最も待たれるところです。宮城県のボクシング ライト級チャンピオンの経歴を生かし?お客さんの誘導兼やんちゃなお兄さん達を追い返す係を担当。そんな中、身長150cm位で腰の曲がった齢80を超えたと思しきお婆ちゃんが、お店にみえました。着ている服からあちこち綿がほころび出ていたといいます。「介護用のオムツと食べ物を売って下さい」と申されました。しかし外は、既に閉店の案内を出しており群衆の不満が爆発寸前という状態です(4時間待ちが当たり前という状態)。
「申し訳ありません」とお断りをすると、「もう、米も食べ物もなくて・・・」と俯かれます。裏口から食品の一つも渡してやりたいと思っても他人に見られたら暴動に発展しかねません。唇を噛みしめ心の底から頭を下げました。「すみません・・・本当に、本当にごめんなさい」帰って行く老婆の背が滲んだそうです。
物資は豊富にありながら物流が機能せず人々の暮らしが成り立たなくなっていくという現実。日本関税協会主催の中国貿易セミナー等を担当される岩見辰彦先生とお話をさせていただいところ、震災復興に肝心の物流業者はいつも蚊帳の外、陸海空の様々な輸送のノウハウを持つ業界の力を効率よく活用すべきと提言されていました。私も微力ながら岩見先生の提言を行政に働きかけていこうと思っています。
とりわけ社会的弱者にもっと手を差し伸べていく必要性を感じます。皆様からの応援が、被災者の方々の何よりの励みになります。これからもよろしくお願い致します。
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